昭和55年04月13日 朝の御理解



 御理解 第62節
 「昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれというておるが、神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ。神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ。にわかに先生にはなれぬぞ。」

 一段一段進んでゆくという事は、信心で申します場合どういう事を言うのだろうか。平信者から幹部にお取立てを頂いた。総代にならせて頂いた。そういう事ではないと思うですね。神様が一段一段進めさせて下さろう。一段一段信心を深く広く身に付けさせて下さろうとする、その働きを働きとしてこうキャッチ出来れる心の状態。今度の御本部参拝を致しました時に、四国の川上さん達が親子でお参りでした。もう必ず私共が参る時に参って見えた。久留米の井上さんのお姉さんです。
 もやしの製造業をなさっておられます。沢山なお初穂とその中にもうそれこそ長々とした、おかげの受けたおかげを受けておられる模様の手紙の、お礼の手紙が一緒に同封して託けてございました。その手紙の中に御造営が始まりまして此の方、どうとかしてと思いますけれども、なかなか思いに任せる事が出来ませんでしたが、最近もやしの販売というのは、はぁまぁ殆どがまぁ言うならば伝票一枚でこう、皆んな仕切られるという事らしいんですけれども。偶々現金買いというのがある、現金売りが。
 だからその現金売りの売り上げだけを、御造営にしたいと心に決心させて頂きましたら、その翌月には倍になりその又翌月には又その倍に、現金が増えていく程しにおかげを蒙っておりますと書いてある。こら又この次にこの又倍になるなら、どげんなるじゃろかと言った様なものじゃない、倍になったら倍になって有り難い。信心が一段一段進むというのはそういう捉え方、そういう言うならおかげの受けられる。
 神様が御造営が始まってお金が要るから、お金を集めたいばっかりでそういう働きをなさるだろうか。そんならまぁだ他に別に沢山ありますよね。私はもお供えします。私は一億円お供えしますと言う人さえある。おかげさえ頂けば今後は間違いなしに、もう全額お供えしますという人もあります。だからお金を欲しいと神様が思われるなら、そういう氏子におかげをどんどん下さらにゃならんはずじゃんの。
 神様はお金欲しさじゃない事です。一段と力も与えてやろう。それこそ一段一段と信心を進めてやろうという。そのご信者の中にはもっともっとございましょうけれども。があってからの事だと頂かなければならんと私は思うです。はぁなかなか神様も抜け目がないなぁと言った様な頂き方では、信心は一段一段進んじゃ行かん。神様はこの様にして一段一段力を下さろうとしておる。という事になるのじゃないでしょうか。
 夕べ昨日も一日まぁ苦しい一日でしたが、ちょうど熱が下がって気分が良い、食事がもう全然と言うて良いほどありませんもんですから。もう美味しいと思うて頂くのは、山本さんの奉仕して下さるお茶二服と、もうお豆腐をもうお豆腐をこのくらい小さく持って来ず、大きなお豆腐をそのまま持って来いと、今はお豆腐だけです頂くのは。もうお粥持って来てもう本当もう一さじなんです。
 外のものは色々こう思いを込めて作ってくれますけれども、それには箸を出そうごとも無いんです。まぁ本当に病気ちゃ不思議な身体の上に現われがあるもんですよね。ただしかし救いは一つか二つかだけは、まぁ美味しいと思っているのがあるという事。本当に有り難い。もう第一あの味のあるものが全然食べられん。味の素なんかでもかけたらもう絶対食べられません。砂糖が甘いものが食べられない。
 そういうまぁ只今修行をさせて頂いておりますが、ちょうど熱が下がって少し気分が良くなったなと思う時に若先生と栄四郎が、はぁいろいろ報告に来てくれました。その中に今日は先生ビリグイの市長さんからメッセージが届いとりますと言うのです。もう心が踊る思いが致しました。話には手紙には聞いておるけれども。よもや合楽の今度の御大祭と落成報告に、ビリグイの市長さんがメッセージを送って下さるてんなんてん、しかもそげんとこまでは行ってないと思った。
 それを段々聞いておる内にしんみりと致しました。おかげを受けておる事が始めに書いてございます。今度のご建築の事のお祝いが述べてございます。そして只今ビリグイ教会の敷地の事で、まぁ及ばずながら尽力をさせて頂いております。ビリグイ教会に広大なその敷地を提供しようという話が、ある市会議員の方との係わり合いが出来てから、市長さんの耳に入りそれからお参りして下さるようになり、隣の市の市長さんまでも係わり合いが出来ている。私は神様の働き。
 本当に合楽理念を持ってするほかは無いという、その合楽理念の働きのすさまじさというものを、感じずにはおられませんでした。最後に奥様を亡くした方らしいんです。その家内の御霊の事をよろしくお願いしますと書いてある。いわゆるそして最後に、金光教合楽本部と書いてあった。こげなこつ読んだら又問題ならせんじゃろか。そげなこつがあるもんかい、そげん金光教本部ちいうなら問題なろうばってん。
 合楽本部支部が沢山あるもんじゃけん、本部ちいうとが当たり前じゃろもんち、私も申しましたけれども。合楽本部教会長大坪総一郎様、という手紙でございました。自分も助からなければならないけれども、魂が助からなければ亡くなった最愛の家内の魂の事を、最後によろしくお願いしますという事は、合楽にお願いをすればおかげが頂けれる。助かられると言った様なものを、まぁ末永先生の教導によって、そういう風に受けておられるのであろうと思うた。
 お互いが人を助けてやるとか、何とかと申しますけれども、一段一段と今日皆さんに聞いて頂いた様に、一段一段進めさせて貰う。その進める手立ては神様が下さるもの。それがある場合には痛い痒い事やったり、ほんならこういう病気という形に表れて来るかも知れない、困った事だ損したと言った様な事で現れて来るかも知れない。昨日の金光大神の腹立ちとか不平とか、不足とかという事を聞きましたね。
 もうこの頃毎日あの建築の、今特に信徒会長久富先生やら総代さんなもう呼びつけられてから、怒られるばっかり。もう私共はもうこげん激しゅう言い方した事はなかったと。親先生はもうそれこそ成り行きを大切にするとか、もうそれこそ穏やかな和賀心ばっかりという風に教えられるのに、この頃ちった病気したけんで、ちったぼうけたばいのち思いよるくらいに喧しかつです。
 もう傍におる者がおろおろするぐらいに喧しい。初信者として総代として、信徒会長としてこれで良いのか、それこそ神様が歯がゆい思いをなさっておられる。神様がもやもやしよりなさるという頂き方こそ、本当に頂いて自分を改めていくなら、もう信心はぐいぐい登るでしょうね。けどももう私はこげな御用は止めた、もうこげな御用はもういっちごんと言う風なふうになって来たらどげんなるでしょうか。
 せっかくの神の腹立ちを神の不平不足を、それを言われてみれば言われておる通りに、実意丁寧を欠いておる事天地日月の心になっていないという事の、まざまざと指摘して教えられておるのであるから。それを頂くそれをあぁほんにそうでしたと頂いて、信心が一段一段進んでいくのだ。信心が進んでいくという事は、どういう事かという事を聴いて頂いたですね。受け止め方お供えしようと思うたら、今月はこがしこじゃったが来月は倍になった。そん次はまた倍になった。手紙にそげん書いてある。
 だからこりゃこのまま現金売りが多くなったらこらまた、沢山なお供えせにゃならんがと思うて、困ったと言う風な事はその文面には感じなかった。おかげを頂いて有り難いと書いてあった。そういう受け方。一段一段進んでいっておる。そうしてです人を助けてやれと。なるほど生身のの人を助けてもやれるが、その人の魂を助けてやれれる。御霊様を救うてあげれれるほどしの力にも、一段一段進んでいく信心過程においてです、そういうおかげの頂けれる信心をも、身に付けて行かなければならんと思うですね。
   どうぞ。